東京高等裁判所 昭和37年(ま)7号 決定 1965年6月10日
主文
請求人に対し金二十三万八百円を交付する。
理由
先ず本件請求の当否を判断するに先立ち、当裁判所が本件請求につきこれを裁判すべき管轄を有するものかどうかにつき考察する。
刑事補償法第二十五条第二項は「前項の規定による補償(免訴又は公訴棄却の場合における補償)については無罪の裁判を受けた者の補償に関する規定を準用する(下略)」と規定しているところ、同法第六条によれば、「補償の請求は無罪の裁判をした裁判所に対してしなければならない」と規定されているので、本件のように第一審において無罪の言渡があつた被告事件に対し、検察官から控訴の申立があり、控訴審の審理中に被告人が死亡したため、公訴棄却の決定により事件が終局を見るに至つた場合は、刑事補償の請求につき、その当否を判断すべき管轄裁判所は無罪の言渡をした第一審裁判所であるべきか、或は、右第二十五条の準用の趣旨を、公訴棄却の場合における補償の請求については第六条の「無罪の裁判をした裁判所」とあるのを「公訴棄却の裁判をした裁判所」とよみかえて、当裁判所の管轄に属するものと解すべきかは疑問の余地が存するのであるが、当裁判所は刑事補償法第二十五条にいわゆる「もし……公訴棄却の裁判をすべき事由がなかつたならば無罪の裁判を受けるべきものと認められる充分な事由」があるか否かの判断は、控訴審裁判所がこれをなすべきものであると言う実質的理由から後者の見解を妥当であると考え、本件刑事補償請求の当否を判断すべき裁判所は公訴棄却の裁判をした裁判所であるとの見解の下に本件請求の当否につき判断をすることとする。
請求人の請求の理由の要旨は、亡鈴木喜好は昭和三十一年四月四日業務上横領被疑者として逮捕され、引き続き同月十日強姦致傷殺人被疑者として逮捕の上勾留されたが、同年五月一日左記公訴事実即ち
「被告人は昭和三十一年二月二十二日午後七時五十分頃清水市田町三十四番地先道路上において通行する婦女を待ち伏せ強姦しようと企て、折から通りかかつた金子信子(当二十一年)を呼びとめたところ、逃げようとしたので手拳を以て同女の顔面を強打し、因つて鼻骨粉砕等の傷害を加えてその反抗を抑圧した上同女を附近の麦畑に引摺り込み着衣を脱がせて裸体となし強いて姦淫し更に事犯の発覚を恐れ、犯跡を隠蔽する目的で同女を殺害しようと決意し、同日午後十時頃右場所において両手を以て同女の頸部を扼して窒息死に至らしめ以て殺害したものである」
との強姦致傷殺人の事実により公訴を提起され、右事件は静岡地方裁判所において審理の結果、昭和三十二年十一月一日無罪の判決を受け、被告人は即日釈放されたものであるところ、検察官は右無罪判決に対し同年十一月十五日事実誤認を理由として控訴の申立をなし、右控訴事件は東京高等裁判所昭和三三年(う)第一六二号事件として同裁判所第四刑事部に係属したが、同裁判所は昭和三十三年四月十日以降昭和三十五年三月十五日までの間に十三回に亘り審理を遂げた上、同日結審し、同年四月二十八日を判決宣告期日と定めたが、その後右宣告期日は同年六月二十八日に延期されたところ、その間鈴木喜好は同年五月七日癌性腸炎及び幽門癌により死亡したため、同裁判所は同年五月三十一日刑事訴訟法の規定に基き本件公訴を棄却する旨の決定をなし、右裁判は当時確定するに至つたものである。
しかして第一審静岡地方裁判所の無罪理由は、本件公訴事実中被害者金子信子が起訴状記載の日時場所において強姦された上殺害された事実は証拠上明白であるが、右犯行が被告人によつて行われたことを認めるに足りる証拠はない。即ち右事実に関する被告人の自白はその任意性に疑があり、右自白を離れて本件が被告人の所為であることを認めるに足りる証拠はないとし、結局本件は犯罪の証明がないと言うにあつた。しかして本件控訴審の審理の経過に徴するに、被告人の有罪を根拠づける新たな証拠は結局皆無と言わざるを得なかつたのである。尤も、控訴審における鑑定人内田庄司の鑑定によれば、右事件の犯行現場に残された長靴の足跡と被告人方から押収した長靴はその足跡が合致すると言うのであるが、公判において右鑑定人を取り調べた結果によれば、同人の鑑定は科学的根拠がなく到底信用するに足りないことが明白とされたのである。以上のような状態の下に本件控訴審の審理が終結されたものであるから、被告人がもし死亡しなかつたならば検察官の控訴は到底棄却を免れなかつたのであり、本件は刑事補償法第二十五条第一項にいわゆる「もし公訴棄却の裁判をすべき事由がなかつたならば無罪の裁判を受けるべきものと認められる充分な事由がある」場合に該当するものと確信する次第である。しかして鈴木喜好は前記のように昭和三十一年四月四日より同三十二年十一月一日まで逮捕勾留されていたものである。(尤も同年四月四日より同月九日までは、業務上横領罪の嫌疑により逮捕されていたものであるが、右期間中も同人に対する取調の中心は本件の強姦致傷、殺人の事実であつたことは、同人の供述調書の記載によつて明らかであるから、右期間についても刑事補償がなされるべきものである)から、右抑留拘禁日数五百七十五日に対し一日につき金四百円の割合による刑事補償を求めるものである。なお、被告人は前記のように右公訴棄却決定を受ける前既に死亡し刑事補償の請求をする由もなかつたのであるから鈴木喜好の妻で同人の相続人である請求人から、刑事補償法第二十五条、第二条に従い、前記の補償決定を求めるため本件請求に及んだと言うにある。
検察官は右請求に対し右請求は理由がないから棄却相当と思料する旨の意見を提出した。
よつて本件が刑事補償法第二十五条にいわゆる「もし……公訴棄却の裁判をすべき事由がなかつたならば、無罪の裁判を受けるべきものと認められる充分な事由がある」場合に該当するか否かについて判断することとする。
そこで本件刑事補償請求事件記録並びに鈴木喜好に対する強姦致傷殺人被告事件記録によると、
検察官の控訴の趣意の要旨は、原判決は証拠の取捨判断を誤り事実を誤認して無罪を言い渡した違法があるというのであつて、原判決の認定した事実のうち、
一、被告人が犯行当夜稼働していた東亜燃料工業株式会社清水工場(以下東燃と称する)を出門したのは(遅くとも)午後八時三十分頃で、検察官が主張する午後七時二十分ないし午後七時三十分頃ではないとしたこと、
二、犯行現場における目撃者の証言はあいまいであるから、被告人を犯人と認定することはできないとしたこと、
三、犯行現場に印象された足跡は被告人穿用のゴム長靴と一致しないと認定したこと、
はいずれも事実を誤認した違法があり、右違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。更に原審は被告人の自白調書はその任意性に疑があるとして、その証拠能力を否定し、これを証拠として取り調べなかつたものであるが、これは被告人の弁解に惑わされて証拠の取捨を誤つたもので採証法則に違反したものであると言うのである。
第一、被告人の東燃出門時間関係(被告人のアリバイの主張)について、
検察官の控訴趣意書における所論は、原判決が被告人のアリバイの主張、即ち被告人は犯行当夜である昭和三十一年二月二十二日午後六時頃東燃の護岸工事の夜間作業に出勤したが、投光器の故障のため、人夫小屋でその修理を待ち点灯後直ちに作業に従事していたが腹痛のため作業を中止して帰宅の為東燃の正門を出たのは午後九時三十分頃であつた――従つて当日午後七時五十分頃静岡県清水市田町三十四番地先路上において、同所を通りかかつた金子信子に対し、暴行を加え更に附近麦畑内において強いて同女を姦淫し(起訴状記載の犯行の着手)たりしうる筈がない――との主張に対し、被告人が東燃の正門を出門したのは午後九時三十分頃であるとの主張は虚偽であると断定したが、被告人が東燃を出門したのは(遅くとも)午後八時三十分頃で、検察官の主張するように午後七時二十分ないし午後七時三十分頃ではないと認定し、その理由として、投光器が点灯したのは午後七時二十五分前後と推定され、その直後作業は開始されたが、被告人は作業についてから腹痛を訴え、親方山本卓の承認を得て仕事をやめ、附近の人夫小屋で腹痛薬シロンを飲む等の手当をして帰途についたのであるから午後七時四十分頃までには被告人が犯行現場第二の小屋に到着していなかつたと見るべき可能性の方がより大きいと言わなければならない(原判決第九頁ないし第十一頁参照)と判示したのに対し、(イ)投光器の点灯したのは午後七時前後であり、その直後作業は開始され、(ロ)被告人は点灯後一応作業についたが間もなく工事現場を立去り犯行現場に赴いたものであつて、(ハ)被告人が東燃正門を出門した時刻は、被告人が東燃出門後約三十分頃山本卓が出門し、山本が出門後約五分ないし十分頃佐々木一雄が入門したこと、佐々木一雄が入門したのは午後八時五分頃遅くとも午後八時十分頃であることから、逆算すれば、右時刻は午後七時二十分前後と認定すべきであると主張する。(なお控訴趣意書別紙添付の表参照)
しかし、(イ)原判決は挙示の証拠即ち原審証人長沢佑至、同山本卓の各供述により、本件当時東燃の護岸工事の夜間作業は干潮時を利用する関係上開始時刻は一定しないが当夜は午後六時より開始される予定であつたところ、当日は投光器が故障していたため作業開始時刻となつても作業を始めることができず、人夫は小屋の中でその点灯をまつていたこと、原審証人佐々木雄朔、同石原修一の各供述、受命判事の検証調書により東燃配電盤係石原修一は午後六時頃修理の依頼を受け、午後七時頃電気係鈴木雄朔からフユーズを受け取り、午後七時十五分頃これを山本卓に渡し、山本卓は石原修一からフユーズを受け取つた上これをもつて電灯ピラボツクスに至りフユーズをとりかえたところ、投光器が点灯するに至つたものであつて、原審は、右各関係人の当夜の所在、行動、東燃工場内変電室電灯ピラボツクスの状況、距離関係等を彼此総合考察の結果、投光器の点灯した時刻を午後七時二十五分頃と推定したものであつて、原審の認定は概ね妥当と認められ、控訴審における事実の取調の結果に徴するも原審の認定は不当とは認められない。所論の東燃電気係宿直日誌に投光器の故障が午後六時三十分から午後七時までと記載されており、西ケ谷理作の日記帖に午後七時作業開始と記載があるからと言つて直ちにこれを以て右認定を覆すに足るものとは認められない。
(ロ)次に原判決は挙示の証拠即ち裁判所の検証調書並びに受命裁判官の検証調書により、右工事現場から第一現場までの自転車による走行時間は十分位と推定されるとした上、被告人が投光器の点灯後間もなく右工事現場を離れ自転車で第二の小屋に赴いたとすれば、遅くとも午後七時四十分頃同所に到着する訳であるから同所で被害者を待伏せ本件犯行を敢てする可能性が全然ないとは言えないが、このようなことが発生するためには被告人は遅くとも午後七時三十分頃には工事現場を立ち去つたものと言わなければならない。しかるに山内敏雄や西ケ谷理作の供述によれば、山内は点灯後暫く(同人は四、五十分と言つているが、その点の信憑性の点はともかくとして)の間被告人と跡片付けや石割作業をしており西ケ谷理作も被告人と一緒に作業していたが、その後被告人は腹痛のため親方山本卓の承諾を得て附近の人夫小屋にもどり腹痛薬シロンを呑んだりした事実があることは明らかであつて、これらの事実を参酌すると被告人が午後七時四十分までに判示第二の小屋に到着していたことは殆んど不可能と考えられ、また、原審証人辻はま、同伏見孝司等の供述によると、同人等が犯行現場で見た被害者を溝の中に押し伏せていた犯人は飲酒していたもののようであり(被告人の自白調書によるも、被告人は工場出門後清水駅裏の居酒屋で飲酒したとなつている)、もしそのように被告人が飲酒したことが真実だとすれば、被告人が工事現場を出た時刻は更に早くならなければならないとしているのであつて、この点に関する原審の認定も概ね妥当であり、前示(イ)に説示したように、当日投光器が点灯した時刻がおよそ午後七時二十五分であり、その後間もなく、作業が開始され、被告人も暫く作業に従事したが腹痛を訴え、親方山本卓の承諾を得て仕事をやめ附近の人夫小屋でシロンを呑んだりして帰途についたことが真実と認められる以上、そして更に被告人が自白調書において述べているように腹痛を押えるため駅裏の酒店で飲酒した事実があるとすれば、ますます、被告人が犯行が開始されたと認められる午後七時五十分頃より前に、第二の小屋で女の通りかかるのを待伏せしていたと言うことは時間の関係上殆んど不可能と考えざるを得ない。
検察官は前記のように当夜投光器が点灯したのは午後七時前後で、直ちに作業が開始され、被告人は点灯後間もなく工事現場を立ち去つたというのであつて、検察官の主張する時間関係によれば被告人の作業時間は極めて短時間となり、原審証人山本卓の供述並びに作業日報の記載とは矛盾するが、証人山本卓の供述はその供述態度並びに同人と被告人とは特殊的関係があることを考えると措信し難く、また作業日報の記載もまたルーズなものであるから、前示のような時間関係を認定し被告人が当日午後七時四十分頃犯行現場に到着したものと認めるのが事実の真相に合致するものである旨主張するけれども、右は投光器の点灯し作業を開始したのが午後七時前後であることを前提としての立論であつて、投光器の点灯時間を午後七時二十五分頃とするときは到底成立しないものであり被告人の作業量が極めて短時間であつたとすることは、前掲各証拠と矛盾するところであつて到底これを採用することができないのである。
(ハ)次に検察官は、被告人が東燃正門を出門した時刻は佐々木一雄が入門したのが午後八時五分頃遅くとも午後八時十分頃であることから逆算し、午後七時二十分前後と認定すべきであると主張するが、佐々木一雄が入門したのは午後八時十分か十五分頃であり、(原審第十四回公判調書中の同人の供述)また検察官の主張する時間関係を逆算するも被告人の出門時間は午後七時二十五分ないし七時三十五分となるのであつて検察官の所論はいささか牽強附会と言わざるを得ない。
以上要するに、原判決は被告人が東燃正門を出門した時刻については必ずしも明確に認定はしていないが少くとも午後七時三十分以後と認めたことは明らかであり、その後の経過から見て被告人が本件犯行現場附近第二の小屋に午後七時四十分頃までに到着することはほぼ不可能と考えられる旨判示しているのであつて、原審の右認定は各挙示の証拠に徴し相当と認められるところであり、本件記録並びに控訴審の事実取調の結果によるも、右認定は所論のように事実を誤認した違法があることは認められないから検察官の論旨は理由がない。
第二、犯行現場における目撃関係
検察官の所論は原判決が、原審証人杉山先子、同橋本菊江、同辻はまの各供述及び右三名の検察官に対する各供述調書によれば、右三名が犯行現場附近で見かけた犯人と思われる男と被告人とは同一人でないかと推認できないことはなく、これに反する証人伏見孝司、同高林良享の証言は信用できないと一応言いうるとしながら、前記杉山、橋本、辻証人等の目撃に誤りがなく真実なものとするには、単にその供述内容自体において犯人と被告人の同一性を述べるのみでは不十分であり、証人の供述のなされるまでの経緯と供述のなされたときの状況を明らかにし、真実目撃者が目撃によつて知りえた事実のみを供述したか否かを検討しなければならないとし、杉山光子、辻はまの各検察官に対する供述調書は、被告人が逮捕後犯行を自白しこの事実が世間に報道された後、各証人に静岡警察署において被告人一人を入れ犯行現場で見た男と同一かどうかを確めさせた際作成されたもので、この様な状況の下においてなされた目撃者の供述は、捜査官の心証に迎合する危険性が極めて大であり、被告人の同一性を推認せしめる程証明力を有するものではないとしたのは全く予断を以て判断したもので、殊更に事実を曲げて真相を見ないものである。即ちこれらの重要証人に対しては被告人が逮捕される前に綿密な捜査が行われていたもので、辻はまた被告人の逮捕前十数枚の容疑者の写真中から被告人の写真(昭和二十七年五月被告人が覚せい剤取締法違反で検挙されたとき撮影されたもの)を選別し、杉山光子は約数百枚の写真のうちから被告人の写真を選別したものであつて、原判決が予断するように、被告人が逮捕され犯行を自供した後忽然として、同人等を取り調べたものではない。なお目撃証人のうち伏見孝司、高林良享は被告人と似ていない旨のべているが、杉山証人と高林証人とを比べると、杉山証人は小屋(犯行現場附近の第二の小屋)の傍に立つていた男と一米位接近したところを通りすぎたもの、高林証人はその男と三、四米離れたところを通りすぎたもので、当夜の月明では杉山はその男の容貌、体格、着衣等を見極めえた位置であつたが、高林の位置からは同人の特徴を見極め得なかつたものと考えられ、また辻証人と伏見証人とを比べると、辻は、犯人(溝の上で被害者の上に蔽いかぶさつていた男)に二、三尺まで接近し五分位継続して犯人を見ておるのであり、伏見は通りがかりに辻から呼びとめられて一寸自転車を止め、三、四米の位置から瞥見した程度で同人も明瞭に特徴を見きわめ得なかつたものと思われるのであるから、高林、伏見証人の証言は極めて価値の低いものであつて、同人等の見た位置関係からすると「似ていないように思う」との供述は措信しえないものである。以上の点において原判決は目撃証人の供述の採否の選択を誤り、証拠の取捨判断を誤つたものと言うべきであると言うのである。
そこで本件記録を調査し並びに控訴審における事実の取調の結果を総合すると、当日午後七時五十分前後本件犯行現場と目される清水市田町三十四番地先路上附近で、犯人らしい男を見かけたもののうち、被告人との同一性について供述している者は上記の五名であつて、同人等の目撃状況は次のとおりである。即ち杉山光子と高林良享は同日午後七時三十分頃から午後八時頃までの間に犯行現場十字路附近にある小屋(第一の小屋)の西側を南北に通ずる道を、北より南に向け通行中、第一の小屋の南方にある第二の小屋附近で不審な男を見かけ、そこを通りすぎて後午後八時の時報を聞く少し前頃第一の小屋の附近で女の悲鳴を聞いたものであり、辻はまと橋本菊江は右両名より稍後れて同一方向に道路を歩行してきたものであるが辻はまが右第一の小屋の十字路の附近でその東方の溝に男が伏せたような姿勢でいるのを見、酔払いが溝におちているのかと思つて、そこを自転車に乗つて伏見孝司が通りかかつたので同人をよびとめ溝の所に酔払いらしい男が倒れているから助けてやるように言つたので、伏見はその男の傍によつて行くと、その男は溝から立ち上り「何を見ているのだ」と言い立向つて来る様な態度を示したので、右三名はそのまま現場を立ち去つたが、その男の覆いかぶさつていた溝の中に白い女の体らしいものが動いていたと言う状況にあるものであつて、検察官に対する供述調書では、杉山光子と辻はまは当夜見た男は被告人とよく似ている大体間違いないと思う旨の供述をし、原審公判廷においては杉山光子は前に被告人を見せられたときは同一人ではないかと思われると言つたが公判廷の被告人は南署で見た人と目元がちがうように思う旨述べており、橋本菊江は被告人と身体つきが似ているように思うと述べ、辻はまは南署で見たとき「あつ似ていると思つた」法廷では当夜の男と似ているかどうかは、被告人の妻や親戚の人を知つているからはつきり言えないと言う趣旨(右供述は大体似ていると思うが同一人だと断言はできないと言う趣旨と解しうるであろう)の供述をしている。これに反し、高林良享は小屋の傍にいた男は被告人とはちがうと思う(同人の兄は被告人の友人で、高林良享は被告人と二、三年前にあつた事があるとも述べている)と言い、伏見孝司は溝から起き上つて来た男は被告人のような男かどうかよく判らぬが、似ていないように思うと述べて居るのである。以上のように本件現場附近の目撃証人の供述は区々であり、且つ似ているとの証言も被告人との同一性を認識するに足りる格別の特徴を挙げているものとは認められず、似ていないとの証言も、当夜行きずりに短時間月明の下で見たいわば朧げな記憶を基としてその感じを述べているものとも解せられないではない。一般的に言つて目撃証人の証言の証拠価値を判断するには、その各証人の性別、年令、目撃状況、知能程度、心理状態更には取調当時の発問の内容これに対する応答者の意識、態度等各般の事情を考慮し、その供述が信憑すべきものかどうか、またそれが果して真実に合致しているものかどうかを慎重に検討しなければならない。従つて本件については検察官所論のように、前記証人等のうち、「被告人と似ている、同一人でないかと思う」と述べている杉山、橋本、辻の各証人の供述が、これと似てないと思うと述べている伏見、高林証人の供述よりもその信憑度において高いものがあるにしても、右証言を以て直ちに右証人等の目撃した男は被告人と同一であると断定するには足りないものと言わなければならない。(殊に前述のように被告人が当日右時刻頃までに犯行現場に到達することはほぼ不可能と考えられる状況にあることを考えると、前記目撃証人杉山、辻、橋本の証言を以て被告人を犯人であると断ずることは益々困難である)即ち原判決のこの点に関する判断は、いわゆる面通しの状況について検察官所論のような審理不尽に基くやや行きすぎた判断をした虞があると言う譏を免れないとしても、結局、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があるとするには足りないものと認められるから、論旨は理由がない。
第三、犯行現場の足跡関係
検察官の所論は、原判決が諸般の状況的事実を総合して、被告人が犯行当夜押収にかかるゴム半長靴をはいていたと言う事実はなかつたものと認めるのが実験則に合致すると説明し、更に、右半長靴の押収された場所が、被告人の自宅の道路に面した玄関左脇の外部より容易に見えうる縁の下に、子供の玩具の乳母車の中におかれていたものであることを問題として、もし被告人が右半長靴をはいて本件犯行に及んだとすれば、何故被告人の自宅を訪れる誰でも見うるような玄関の縁の下に一ケ月余もこれを放置しておいたか、殊に検察官の主張するように、犯行後地下足袋にはきかえて地下足袋の足跡を残し、後日の弁解を擬装すると言う程周到綿密な考慮の下に犯行が行われたとすれば、何故右半長靴を処分しなかつたのか、この疑問が解決されない以上右半長靴による足跡が現場に残されたものであると断定ないし推認することは極めて困難であると判断した点を非難し、被告人のような工事人夫が新しい半長靴があつても、古半長靴が僅かな傷がある程度で使用が不可能でないならばむしろこれを使用するものと考えるのが経験則に合致するものであり、また、栗原証人(本件捜査官)の証言によれば、ゴム半長靴の足跡が証拠として論議の中心となつたのは被告人が逮捕された後の問題であるから、被告人としては、ゴム半長靴がやかましい論議の対象となることを予想しなかつたものと推察されるとして、原判決の判断は合理的なものと言えないと主張している。
本件記録を検討すると、被告人が犯行当夜押収にかかる地下足袋(東京高等裁判所昭和三三年押第四一号の二)をはいていたこと、右地下足袋と本件犯行第二現場附近に残された地下足袋の足跡(記録第一冊八八丁以下の実況見分調書添附(四)現場見取図(第二現場)の小屋の北方に、道路より死体のあつた場所の方へ往復したもののように印せられているもの)とが合致することは、記録上ほぼ疑がないところであり、被告人もこれを認めているのであるが、被告人が犯行当夜右地下足袋の外、問題のゴム長靴を携行或は穿用していたことは、すべての記録を調査して見ても大いに疑の余地の存するところである。原判決は検察官所論引用のように、被告人方から押収されたゴム長靴には穴があいて水が漏る状況にあつたこと、当時東燃護岸工事は地下足袋では作業できないような海水の浸出する場所であつたこと、犯行当時は被告人方には右長靴のほか昭和三十年暮ないし昭和三十一年一月頃買い求めた新しい長靴があつたこと等を理由に、被告人が犯行当夜右古長靴をはいていた事実はなかつたものと推認しうる旨判断しているが、所論はその個々の点について一々これを反駁し、むしろ被告人が右古長靴を使用したものと推認する方が経験則に合致するものと主張しておる。そして右所論は一応首肯しうる点も含んでおり(押収のゴム長靴の右半足にあつた傷が、穴であつたか穴ではなく傷痕に過ぎなかつたかは、押収品が既に廃棄されている現在当裁判所としてはこれを確認する方法はない)、原判決説示のような理由で被告人が当夜右長靴を使用しなかつたとまで断言することはやや困難ではあるが、被告人がもし、当夜右ゴム長靴をはいたまま本件犯行を敢てし、犯行後犯跡を隠蔽する為わざわざ地下足袋にはきかえてその足袋を現場附近につけたと言う検察官の主張を前提とすれば、そのような被告人の立場としてはゴム長靴が捜査の過程で問題となると否とを問わず、予めこれを処分したであろうことも常識上考えられるところであつて、この点に関する原判決の疑問の提起は尤もであり、検察官のこれに対する反論は結局論拠が薄弱であるとの印象を禁じえないのである。
しかし、現場足跡の問題の核心は、本件の証拠品とされている現場足跡石膏が前記ゴム古長靴の印象と合致するか否かの鑑定の結果にかかることは言うまでもない。検察官は、原審が被告人方から押収されたゴム長靴(東京高等裁判所昭和三三年押第四一号の四――以下証第四号と略称する)と現場から採取された足跡石膏五個(前同押号の五の二、三、五、六、七――以下証第五号の二、三、五、六、七と略称する)とは符合しないとした鑑定人八十島信之助の鑑定(以下八十島鑑定と略称する)を最も信用すべきものとし、これに反し、証第四号のゴム長靴と現場足跡のうち番号②と表示されたもの(証第五号の二に該当)とは符合するとした鑑定人亀山義雄の鑑定(以下亀山鑑定と略称する)の結果を排斥したのは、採証の法則に反した違法があるとし、八十島鑑定(並びに鑑定人上野正吉(以下上野鑑定と略称する。ちなみに右鑑定人は証第四号のゴム長靴と現場足跡のうち証第五号の三、及び五との異同の鑑別は不能であり、証第五号の二の足跡石膏と右長靴とが符合するかどうかは断定することは稍困難であるが不一致と見る可能性が強いとするものである)よりも亀山鑑定の結果を採用すべきものである理由を詳細に陳述しているので、この点について考察することとする。
亀山鑑定の要旨は、(1)資料(一)(イ)(本件証第五号の二の足跡石膏に該当する)と同(二)(本件証第四号ゴム長靴に該当する)左半足は符合するものと認める。(2)資料(一)(ロ)(本件証第五号の三の足跡石膏に該当する)と同(二)の右半足は同一大のものと認める、(3)資料(一)(ハ)(本件証第五号の五足跡石膏に該当する)と同(二)右半足の踵部の後部側面は符合するものと認めると言うにあつて、要するに本件証第五号の二は被告人方から押収されたゴム長靴の左足のものによつて印象されたものであると言う点と、右足跡は本件第一現場の被害者の身体を引摺つた跡の末端のすぐ近くで採取されたものであると言うことを総合すれば、被告人が本件強姦殺人の犯人であると断定するいわば極手となるものと主張されるのである。しかし同鑑定において、右足跡とゴム長靴とが符合するとされる積極的な根拠はゴム長靴の踵部の特殊の模様と足跡石膏のその部分の紋様が合致するというにある。しかし本件足跡石膏の測定値がその長さ及び巾において、ゴム長靴のそれより小さいものであることは各鑑定を通じて争ないところであり、亀山鑑定は右は本件足跡が採取された土地の状況(水田を土盛りして畝を作りその畝と畝との間の約五十糎の深さの溝の底部の極めて軟い湿地に印象され然も一旦踏み込んだ靴を更に内側に強くひねり二重足跡となつている特殊な状況の下で採取されたもの)を考えると、この程度の収縮は物理上当然であると言うのであるが、八十島鑑定は、本件においては右測定値が小さいことは一般に予想される収縮の範囲を超えているので一致しないと推測されるとし、上野鑑定は測定値の小さい場合としては非常なぬかるみ又はプリントされてから型をとる迄に時間がかかつたときに認められ比較的稀なことに属する。特に冬期においては土が水分が少い為小さくなることは一層稀なものであるとしてこの点に疑問を止めている。(検察官は上野鑑定の疑問は現地の特殊状況を考慮せず誤つた前提のものに鑑定したもので、鑑定人が現場の状況を十分認識していたならば、むしろ足跡石膏と長靴とは一致する結論となつたことも窺われると主張するが、上野鑑定は不一致点として右測定値以外に二個の事由を掲げており、その説明はいずれも相当高度の説得力を有するものと認められるから、検察官の所論には遽に賛成することはできない。)また、八十島鑑定は不一致の根拠として踵部足尖部の波状模様はゴム長靴においては既に摩耗したものが印象されていることを挙げており、一般に印象足跡において既に摩耗した紋様が印象される筈がないとの同鑑定人の説明は、首肯するに足るものと考えられる(検察官は右印象が紋様であるかどうかを疑い、仮に紋様であるとしても二重足跡であることを考えると、そのような印象が顕出しうる可能性もあると主張するが、現在において検察官の主張を肯定するに足る資料は存しない。)。
以上のように亀山鑑定の結論についても疑を挾む余地があり、且つ上記のように、被告人が当日地下足袋の外に古長靴を携行していたこと、被告人方から押収された本件古長靴が当夜被告人がはいていたものであるとの点について記録上疑うべきである以上、検察官所論のように右亀山鑑定を採用して被告人を有罪としなかつた原判決には採証法則を誤り事実を誤認した違法があるとはいい難く、この点の検察官の論旨もまた結局理由がないものといわなければならない。
なお、控訴審裁判所は本件について事実の取調を行い、鑑定人内田常司をして足跡の異同の鑑定を行わせその鑑定の証拠調をしているので、右鑑定(以下内田鑑定を称する)の結果について一言する。
内田鑑定人に対する鑑定事項は、証第四号のゴム長靴と証第五号の二、三、五、六、七の足跡石膏について右五個の足跡がその長靴によつて印象されたものであるかどうかと言う点にあり(控訴審第四回公判調書)、右鑑定人の鑑定の結果は、要するに証第五号の二の足跡は証第四号のゴム長靴の左半足に、証第五号の三の足跡は右ゴム長靴の右半足に符合する。証第五号の五の足跡は右長靴の左判足によつて印象が可能であり、かつ他のゴム長靴によつて印象されることは不可能である。証第五号の六の足跡は右ゴム長靴の足跡に類似し、かかる足跡を印象することは可能である、証第五号の七の足跡は右ゴム長靴により印象されることは可能であつて且つ他の長靴によつては印象は不可能であると言うに帰する。検察官は事実取調の結果についての弁論に際し、右内田鑑定と八十島鑑定の鑑定方法の相違について、内田鑑定は押収長靴と現場足跡との両者の特徴の符合個所の発見に重点をおくに反し、八十島鑑定は両者の消極的不突合個所の発見に重点をおいており、両者の考え方は相互矛盾するものではないが、八十島鑑定の鑑定方法は真実の発見より遠ざかるものあると主張し、内田鑑定が最も信頼すべきものである所以を詳細に論述しているのであつて、内田鑑定書を検討すると、その精密豊富な内容と、これに払われた努力が多大なものであることは裁判所もこれを認めるに吝さではない。しかし右鑑定はいわば右鑑定人の特異な方法によるものであつて、本件足跡石膏を基本とし、押収にかかるゴム長靴を使用して、足跡石膏と同一または類似の足跡の顕出が可能かどうかを検討し(かくして作成された足跡を対照足跡と称している)その両者間に共通な特徴の存否を確め、その特徴が本件ゴム靴にのみ存する特徴(これを固有の特徴と称している)と認められるかどうかを検討した上、両者の同一性、類似性を判定し、上記の鑑定の結論を導き出しているものであり、右のような足跡鑑定もまた理論的に、足跡鑑定の一方法として成立しうるものであることは、これを認めなければならない。しかし、右鑑定人の指摘する固有の特徴なるものは甚だ微妙なものであり鑑定書添付の写真によつては裁判官をして直ちに納得せしめるに足りないものが少くないのであつて、同鑑定の結果は当裁判所を首肯させるに欠けるところがあり、少くとも本件のように、被告人が当日右ゴム長靴を穿いていたことについて証明もなく、またその押収が行われた際の状況から見て被告人が犯行当時穿いていたゴム長靴を前記場所に放置しておくことがあり得るかどうか疑わしいというような場合に、右内田鑑定の結論を採用して本件犯行は被告人の行為であると断ずることは危険であると考えざるを得ない。(なお右鑑定によれば犯行第一現場におけるゴム靴の足跡〔証五号の二、三、六〕も、第二現場におけるゴム靴の足跡〔証第五号の五、七〕も尽く被告人の足跡であり被告人以外の者の足跡ではありえないこととなるが、本件現場には足跡石膏採取の当時までに犯行に関係のなかつた者が立ち入つた形跡も存すること――犯行第一現場に連続印象された足跡石膏の一個は川崎作蔵が任意提出した地下足袋と符号することにつき昭和三一年四月一九日附亀山義雄作成の鑑定書(記録第一冊三一七丁)参照――を考え合わせると、内田鑑定の結論はますます疑問を抱かざるを得ない。これを要するに、右内田鑑定の結果によつても原審の判決を覆して被告人の有罪を認定するに足る十分な証明があつたものとは解し難いので、この点に関する論旨は竟に採用することができない。
第四 自白調書の任意性
検察官の所論は、原判決が被告人の司法警察員に対する自白調書三通、検察官に対する弁解録取書一通、裁判官の被告人に対する勾留質問調書一通を、いずれも任意になされた供述を録取したものとは認められないとし、証拠能力を欠くものとしたのは、証拠に基かざる独自の判断で、不合理であり、また、証拠能力の問題と証拠価値の問題とを混同したものである。右調書はいずれも任意性について疑わしいものでなく、かつその信憑性も備えているものであるから、原判決はこの点において採証の法則に違反し、証拠の取捨判断を誤つた結果事実を誤認した違法があると主張する。
よつて原判決を検討すると、原審は自白調書の任意性を否定する判断をするに先立ち、右自白調書の供述内容殊に犯罪事実において殆んど信用性がなく、供述内容自体が経験則上又は本件に顕われた証拠物の点から首肯し難いものがあることを指摘した上、被告人がこのような真実性に乏しい。通常の心理過程からは生じえない自白を何故したであろうかとその原因を探求した結果、原審証人栗山敏隆、同羽切平一、同栗原敏郎、同山杢一(いずれも本件捜査に従事したもの)等の証言によれば、当時被告人のアリバイが不明でありその供述にも不審があつた等の点から強く被告人を追求したことがうかがわれ、更に押収した古長靴と現場に遺された足跡とが一致するとの見通しを得て極力被告人の自白を求めたことが推認できるとし、このような誤つた資料に基き強く被疑者を追求し長時間の取調をすれば、その精神的緊張から生れた疲労や取調に伴う精神的不安から生じた苦悩から逃避したい為虚偽の自白をする虞がないことはないと思われるので、右のような取調の過程から生じた被告人の真実性に乏しい自白は任意になされたと認め難く、即ち任意になされたものではない疑があると言うべきであるとし、更に進んで、被告人の自白は司法警察員に対するもの以外に検察官に対する弁解録取調書、裁判官の勾留質問調書中にも存するが、これも一貫した捜査の過程における自白であつて、右と同様任意になされたものでない疑があると判示している。以上のように原審が被告人の自白調書(司法警察員に対する)の内容を検討し、その自白内容が不自然であり矛盾する点や虚偽と考えられる点が多々存することから、右のような供述は捜査官が誤つた資料に基いて強く被疑者を追究し、長時間の取調をしたため精神的疲労と取調に伴う精神的苦悩から逃避したいため虚偽の自白をしたものと推認し、かかる状態においてなされた自白は任意になされたものでない疑があるとしたことは一応首肯しえないではないが、これと同時に被告人の検察官に対する弁解録取書や裁判官の勾留質問調書の任意性をも一挙に否定したことはいささか首肯しかねるものがある。そして検察官の所論のように原判決は証拠能力の問題と証拠価値とを混同したとの非難も強ち理由がないものとはいえない。しかし原判決は被告人の司法警察員に対する自白調書の内容について、その措信し難い所以を詳述しておるのであり、その列挙している事由のうち、(イ)被告人が軍手をはめて被害者の顔面を殴打したとの供述は、右軍手に血液又は体液の附着していることが証拠上認められない以上これを措信しがたいとした点(原判決第十の三――原判決三五頁)、(ロ)本件犯行時間は長時間に亘つているのに、被告人の自白調書の供述内容によつてはその時間の経過について合理的な説明を与え難いとした点(同第十の四――原判決三七頁)、(ハ)被告人が被害者を姦淫し射精したとの供述があるが、被害者の膣門子宮内に精液ないし体液の存在が全く認められないところから見ると右供述は真実に合しないものと考えられるとした点(同第十の五――原判決三八頁)、(ニ)被告人が発見者を装つて辻町交番及び西久保交番に立寄つた旨の供述は、真犯人の行動としては不可解であるとした点(同第十の六――原判決四〇頁)に関する原判決の説示はこれを是認するに足るものであり、この点に関する検察官の所論を検討しても、原判決の判断が真相を把握しない形式的な見解に過ぎないものと認めることはできない。即ち、被告人の司法警察員に対する供述調書(三通)は、その犯行の経緯を詳細に自白しているのであるが、その供述内容は上記のように是認し難い部分を含んでいるばかりでなく、先に判示第一において説示したように被告人の東燃出門の時間関係から見て、被告人が本件犯行の行われた時までに犯行現場に到達したことは殆んど不可能と考えられること等を併せ考えると、被告人の本件犯行に関する自白は措信し難いものと言わなければならず、更に被告人の検察官に対する弁解録取書並びに裁判官の被告人に対する勾留質問調書における自白は何ら本件犯行の具体的内容に触れていないのであるから、司法警察員に対する前記自白調書を除いては被告人を本件犯行の犯人と認めるに足る証拠は存しないものといわなければならない(なお前出第二、第三において判断したところを参照)。
以上のような次第であるから、被告人の各自白調書の証拠能力を否定した原審の措置が検察官所論のように訴訟手続に関する法令の解釈適用を誤つた違法があるとしても、右違法は結局判決に影響を及ぼさなかつたものと言う外はない。従つてこの点に関する論旨も結局採用することができない。
以上本件第一審並びに第二審の訴訟記録に顕われたすべての証拠をつぶさに検討すると、被告人の捜査官に対する自白が任意性並びに信憑性なしとして証拠に供し得ないのみならずその他の証拠によつては到底被告人を有罪たらしめることはできないと認められるのであるから、検察官の控訴は結局理由がないものとして、棄却を免れないのはもちろん、もし本件について公訴棄却の裁判をすべき事由がなかつたならば無罪の裁判を受けるべき充分な事由がある場合であると認めるに十分であり、果して然らば死亡した被告人の相続人の一人であること記録上明白な、亡鈴木喜好の配偶者鈴木芳子の申立にかかる本件請求はこれを容認すべき筋合であると言わなければならない。しかして、本件記録を調査すると、被告人が昭和三十一年四月四日業務上横領被疑者として逮捕され、同月十日強姦致傷殺人被疑者として勾留状の執行を受け、爾来原審判決言渡の日である昭和三十二年十一月一日まで五百七十七日間抑留拘禁されたことは明白であり、右逮捕から勾留までの期間においても同人は本件強姦致傷殺人事件の被疑者として同時に取調を受け、本件被疑事実のためにも併せて身体の拘束を受けていたものと認められるから、右全期間に対し、昭和三十九年四月二十七日法律第七十一号附則第二項、同法による改正前の刑事補償法第四条所定の金額範囲内において一日金四百円の割合による合計金二十三万八百円の補償をすることが相当と認められる。(請求人は五百七十五日間で二十三万円の補償を求めているがその真意は全拘禁日数の補償を求めるものと認める)よつて請求人の請求は理由があるから、これを認容することとし、刑事補償法第二十五条、第二条、第十条、第十六条により主文のとおり決定する。(井波七郎 荒川省三 小俣義夫)